文献●●●○○
因幡志(いなばし)(いなばし)
江戸時代中期(寛政7年=1795年頃)
鳥取県には、これまでに3件の足跡が記録されています。そのうちNaN%が、ときめきや懐かしさといった好意的な感情とともに残されたものです。
3件の記録
🖨 掲示用ギャラリー江戸時代中期(寛政7年=1795年頃)
因幡国の地誌史料。編者は鳥取藩医の阿陪恭庵。『因幡民談記』と並ぶ近世因幡国の代表的地誌とされる。(単一情報源:Wikipediaのみで裏取り)
Wikipedia「因幡志」
民話(時代不詳)
大金持ちの湖山長者が田植えを一日で終わらせるため太陽に「戻れ」と命じたところ、翌日、田んぼが一夜にして池(湖山池)に変わってしまったという長者没落譚。湖山池の成因説話として鳥取県で最もよく知られる民話。
とりネット(鳥取県公式サイト「湖山長者」)、日本伝承大鑑
奈良時代
水鳥を捕らえる職業部「鳥取部」が居住していたことに由来する地名。『日本書紀』には本牟智和気御子が鵠を見て言葉を発したことを喜んだ天皇が鳥取部を設置したという説話が記される。
とりネット(鳥取県公式サイト)、BEST TiMES「47都道府県地名の謎」