文献●●●○○
菅江真澄遊覧記
江戸時代後期(1783年〜)
青森県には、これまでに3件の足跡が記録されています。そのうちNaN%が、ときめきや懐かしさといった好意的な感情とともに残されたものです。
3件の記録
🖨 掲示用ギャラリー江戸時代後期(1783年〜)
菅江真澄が信濃・越後・出羽・陸奥・蝦夷地を旅し、庶民の暮らしや習俗を記録した紀行文集。青森県では南部藩・津軽藩を巡った約9年分の記録が含まれ、国の重要文化財に指定されている。
平凡社東洋文庫版(内田武志・宮本常一編訳)
平安時代(862年)
862年、天台宗の円仁(慈覚大師)が唐で「東方に霊山あり」との夢告を受け探し歩いてたどり着いたとされる。地獄谷・賽の河原・極楽浜という地形があり「死ねばお山に行く」と言い伝えられている。
Wikipedia「恐山」、青森県観光情報サイトAmazing AOMORI
平安時代後期
糠部郡を9地区に分けた際に付けられたとされる「戸」地名の一つ。南部氏の牧場の木戸に由来する説、蝦夷征討の柵戸(軍事拠点)に由来する説がある。
青森県庁「青森県史の質問箱」、国立国会図書館レファレンス協同データベース