文献●●●○○
近江輿地志略(おうみよちしりゃく)(おうみよちしりゃく)
江戸時代・享保19年(1734年)完成
滋賀県には、これまでに3件の足跡が記録されています。そのうちNaN%が、ときめきや懐かしさといった好意的な感情とともに残されたものです。
3件の記録
🖨 掲示用ギャラリー江戸時代・享保19年(1734年)完成
膳所藩主・本多康敏の命により藩士・寒川辰清が編纂した近江国の地誌。全101巻100冊からなり、各郡の名所旧跡・河川池沼・神社・寺院等を実地調査に基づき記述している。寒川辰清自筆本は滋賀県指定有形文化財。
Wikipedia「近江輿地志略」、公益財団法人滋賀県文化財保護協会
平安時代(藤原秀郷は10世紀の実在人物)
瀬田の唐橋に横たわる大蛇を恐れず踏み越えた俵藤太のもとへ龍神の使いの老人が訪れ、三上山の大百足退治を依頼する。俵藤太は一矢で百足の眉間を射抜き退治した。唐橋東詰には秀郷と龍王を祀る雲住寺・龍王宮秀郷社が現存する。
大津市歴史博物館「俵藤太の百足退治」
奈良時代以前から存在
丸木舟を並べフジの蔓を絡めた橋を「搦橋(からみばし)」と呼び、これが「から橋」に転訛したとする説がある。後に中国・朝鮮半島様式の橋構造が取り入れられ「唐橋」の字が当てられた。近江八景の一つ。
Wikipedia「瀬田の唐橋」、びわ湖ビジターズビューロー