文献●●●○○
摂津国風土記(逸文)
奈良時代(8世紀)
大阪府には、これまでに3件の足跡が記録されています。そのうちNaN%が、ときめきや懐かしさといった好意的な感情とともに残されたものです。
3件の記録
🖨 掲示用ギャラリー奈良時代(8世紀)
和銅6年の官命により編纂された摂津国分の風土記。原本は散逸し、『釈日本紀』等が引用する「夢野」「菟餓野」「野島」等の地名由来譚が逸文として断片的に伝わる。逸文の史料的真正性には学術的議論がある。
ネットミュージアム兵庫文学館、Wikipedia「風土記」
江戸時代・享保年間(18世紀初め)
大阪城二の丸の伏見櫓内側にあった役宅跡が空き地となり「ばけもの屋敷」と呼ばれるようになった。享保年間に着任した大名・戸田大隅守が祠を取り払ったところ巨大な古狐の妖怪が現れ、激しい戦いの末に退治したと伝えられる。(単一系統の情報源)
「歴史街道」発の記事を紹介する複数メディア
1236年起源、命名は幕末
鎌倉時代の歌人・藤原家隆がこの地へ移り住み、大阪湾に沈む夕日を望んで浄土教の「日想観」を修するための庵「夕陽庵」を結んだことが由来。幕末の国学者・伊達宗広が「夕日岡」と名付け、現在の地名につながった。
Wikipedia「夕陽丘」、大阪市公式サイト「大阪府史跡」