文献●●●○○
新編武蔵風土記稿
江戸時代後期(1810〜1830年編纂)
埼玉県には、これまでに3件の足跡が記録されています。そのうちNaN%が、ときめきや懐かしさといった好意的な感情とともに残されたものです。
3件の記録
🖨 掲示用ギャラリー江戸時代後期(1810〜1830年編纂)
江戸幕府の昌平坂学問所地理局が編纂した全265巻の官撰地誌。郡・村ごとに地名・神社仏閣・旧跡・旧家などを記載している。
Wikipedia「新編武蔵風土記稿」、国立公文書館デジタルアーカイブ
江戸時代(享保年間の見沼干拓と関連)
見沼には「見沼の主」と呼ばれる竜神が棲むとされる。江戸時代、見沼代用水の干拓工事を行った井沢弥惣兵衛のもとに美女に化けた竜神が現れ「沼を残してほしい」と願ったという逸話が伝わり、現在も「さいたま竜神まつり」として継承されている。
さいたま竜神まつり会公式サイト、VISIT SAITAMA CITY
中世(河越氏の史料に既出)
入間川を「越える」の意とする説、入間川の氾濫で土地が肥沃だったため「河肥(かわごえ)」と呼ばれたとする説、鎌倉幕府御家人・河越氏に由来するとする説が併存する。
歴史人「群馬・栃木・埼玉の地名にまつわる由来と歴史」